いつもと違うことをしてみると見えてくる世界。 モヤモヤの元凶はわたしだった

あるきかた

今日は、朝から機嫌が悪かったんです

でも、それはいつものことで

休日など夫や子供たちが家にいると、ついつい色んな事が目について小言を言いたくなってしまう

口うるさくならないように…と自分にブレーキをかけようとすればするほど

そんな自分の努力とは裏腹に、

今日も朝からガミガミしてしまっている自分にうんざりしてしまいました

理想の自分とはかけ離れている今の自分の姿にガッカリしてしまう

なぜだろう?

平日との違いを考えてみました

・夫、子供が家にいる

・いつもより家が騒がしい。うるさい。(どうも、私は音に敏感みたいだ)

・自分のペースで物事が進まない

・自分の時間が無い

・休日は家族で楽しく過ごしたい、という気負い

・今日という日をできるだけ良い一日にしたい。

・ダラダラと過ごして、せっかくの休日を無駄にしたくない。

・だからダラダラとしている家族が許せない…

挙げていくと、なんとも自分本位な理由に行き当たりました

この、「せっかく」という言葉が曲者だなぁと思います

私の中にいつもある、できれば物事を効率よく進めたい。損したくない。間違えたくない。

そんな思いがにじみ出ている言葉

そもそも、休日は良い日じゃないといけないのかな?

家族がみんなで楽しまなくてはいけない?

夫や子供たちが心地よいようにしなきゃいけない?

家族みんなで一緒に過ごさないといけない?

お昼ご飯が終わった時点で、午後からの予定が何もなかったのでまず夫に「何をしようか?」と持ち掛けました。

夫:「紅葉でも見に行こうか!」

その提案に、私はこう考えます。

「せっかく出かけるなら、家族みんなが楽しめるところに行こう」と

そこで三人の子供たちに、どこに行きたい?紅葉見にいきたい?と確認することに

小学生、中学生の子供たち

当然、みんな行きたいところはバラバラです

何なら、家でゆっくりしたいという子も

みんなが満足できる最善の着地点を探すのですが、そんなものは見つかるはずもありませんよね

あーでもない、こーでもない、

あっちを立てれば、こっちが立たず。

時間ばかりが過ぎてしまい…

モヤモヤ…

せっかくの休みなのに…

結局、致し方なく子供たち三人は家に残して夫婦だけで出かけることにしました

夫が出かけようかと提案してから、なんと二時間かかって、やっと家を後にしたのです

そんなやり取りの中で、一つ気が付いたことがあります

夫が一番初めに投げかけた、「紅葉でも見に行こうか!」の問いに対してだけ選択すればよかったのでは?

その提案に、乗るのか乗らないのか。まずはそこを選択すればいいのではないか?

そして、行きたい人は行けばいいし、行きたくない人は行かなければいい。

ただそれだけのシンプルな選択でよかったのに、色々こねくりまわして複雑にしてしまっている

考えてみれば、それは私のいつものパターンだと気が付きました

夫の提案に、なんだかんだケチをつける。

こうしたらもっと良くなる、と付け加えたくなったり、別の提案を持ち出して、夫の最初の提案を無かったことにしてしまう

自分でも全く自覚がなかったとはいえ、夫に対してなんとひどいことをしてきたのだろうか、ということに気が付きました。

物事がスムーズに進まないなぁと、いつもモヤモヤと感じていましたが

その不毛な時間の原因は、なんと私から始まっていました…

今日は、そんな大きな発見がありました

その後のお出かけは、もちろん夫の最初の提案に乗ることにしました

お出かけの新しい気付きは、また次回に綴っていこうと思います。

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