美学は完成しないからこそ面白い──理想と現実の間で見つけた光

あるきかた

美学は私の指標

「私が目指す生き方は?」「理想の自分の姿は?」
そんな問いを立てたとき、私の中でいつも浮かぶのは“美学”という言葉です。

どんなふうに振る舞うか、どう行動するか──その選択の真ん中に置いておきたいのが、美学。
でも、実際の私は理想とほど遠く、損得や計算が顔を出す自分を知っていて、そんな自分を否定し続けていました。

「美学なんて掲げる資格はないのでは?」
そんな思い込みに縛られていた気がします。


美学には「学び」が含まれていた

最近受講している講座の中で、こんな言葉に出会いました。

「学びには必ず失敗が含まれる。だから成功も完成もない」

そのとき気づいたのです。
美学にも「学」という字が含まれている、と。

つまり、美学も学びと同じように「やり続けるもの」であり、失敗や未完成を含んでいるものだと思ったのです。


未完成のままで進んでいい

これまで私は「美学は完成されているもの」「理想の自分は完璧でなければならない」と思っていました。
だからこそ、現実の自分とのギャップに苦しみ、掲げること自体を怖がっていたのかもしれません。

でも、失敗が含まれてもいい。
完成することがなくてもいい。

そう気づいた瞬間、私はとても救われました。


美学に従って行動し続ける

たとえば「人には自分よりも、よりよいものを渡そう」と思っても、実際は「惜しいなぁ」とか「良く見えるかな」といった心の声が聞こえてきます。

それでもいい。
そんな自分でも、美学を胸に行動していいんです。

進み続ければ、次はもっと洗練された振る舞いができる。
それが「美学と共に生きる」ということなんだと思います。


まとめ

美学は、完璧な自分を演じるためのものではなく、学びと同じように“失敗を含んだ道しるべ”。
だから私は、理想の自分に完璧でなくても、美学を胸に行動し続けたい。
そう思えるようになったことが、今の私にとっての大きな気づきでした。


チャンチィままのひと言

「今日の美学は、完璧じゃなくてOK!」
小さな行動でも「自分の美学」に従ってみよう。
失敗しても、それは次の一歩の栄養になるよ。


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