自分の中に「美学」を持つことが怖かったのは…

あるきかた

私が目指す生き方は?

思い描く未来の自分の理想の姿は?

と考えてみたとき

そこを目指していく上で、

いつも自分の中に指標のようにあり続けるもので

そうありたいと日々ふるまっていく

どう行動すべきかを問い続けていく

常に選択の真ん中にあるものが「美学」だと思う

でも、いくらその「美学」を立派に掲げていたとしても

明らかにそうではない自分をいつも発見することになる

うわべでは、さもそういう人であるかのように

いくらでも振舞うことができるけれど、

私の心の中や、思惑や、計算や、損得や、ずるさや…

そんな色々なものは、私はハッキリと知っている

そうしようとすれば、心の中のささやきが透けて見えて

やっても形だけというのが分かるから

そんな自分をいつも自己否定していた

だから、そんな大逸れた美学を自分の中に掲げるなんて…!

と無意識に抵抗して怖がっていた気がする

だって、やろうとすればいつも自己否定されて、

できない自分とのジレンマを強く感じるしかないから

そんな自分が美学を掲げるなんていけないことのような…

どんな自分になりたいかなんて、理想の姿なんて、

目指しても失敗しないような、ある程度いい線行けるのではないだろうか?と

自分に見合った美学というものを

計算して考えたものだったような気もする。

今、受講している講座がとにかく面白くて没頭しているのだけど、

その講座の中でこんな言葉が出てきた

「学びというものには、必ず失敗が含まれる。

だから、成功することがないもの…、完成することがないもの…」

美学にも

「学」の字が含まれてる

学びを美学にも置き換えることができる

美学も学びと同じようにやり続けていくもの

私をゴールへと連れて行ってくれるもの…

美学の中には、失敗なんてないと思っていた

美学はもうすでに完成されていて

あまりにもかけ離れている自分なんかが持つべきものではないと

どこかぼんやりと感じていた気がする

でも、

そもそも失敗が含まれているのかぁ

完成することはないのかぁ

今は、それでいい

そうある自分を見つけて知ったうえで

行動すればいい

今は完璧じゃなくてもいい

ここから、自分の理想を自由に思い描いていい

自分の中に常に美学を置いて

行動し続けたらいい

どんな自分であってもそう振舞っていい

私の目指す美学に従って行動していい

どれだけやっても、失敗して完成しないものだと分かったら

今とった振舞いよりも、

次はもっと洗練された振舞いにができるようになればいい

たとえば、

「他人には自分よりも、よりよいものを渡そう!」と言ったとして、

手渡しながらも、惜しいなぁとか、

こうすれば人から良く見えるかな?とか

自分のことを考えているのを発見したって…!

そんな自分でも美学に従って行動していい。

進み続けたらいいじゃない、と

なんだか救われた気分になってじんわりと嬉しい気付きだった

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