どうしようもなく道が塞がれてしまったよタチほんの一時浸ってしまうことが時々ある。
これまでも定期的に訪れていたこのどうしようもなさ。
と言っても、私は悩みを長引かせないたちタチだと思うので、
その時は泣いたり、腹を立てたり、とことん落ち込んでみたり、反応は色々あるけれど
グ~ッと落ち込んでも、1時間もすればケロッとしている。
便利といえば便利。そんな気質であるようだ
最近の悩み事は、と言っても毎月やってくる悩みは、
「お金が足りない」ということだ。
思えば、ずっと今までお金の不足を感じながら生きてきた。
いつもお金がないと思っている。
今日も、どうしても受けたいセミナーがあり(結構な高額のもの)それを受けるかどうかで夫婦で毎晩話し合ったり、何か方法はないか探しているところだ。
こんなに無理してセミナーを受けるなんて、常識からしたらきっとありえないだろうと思う。
でも、どうしてもどうしても受けたい…
あんまり状況が厳しいので、普段は大概のことに賛成してくれる夫も難色を示しだした。
そりゃ、そうだ。頭ではわかる。が、どうしても諦めきれない自分。
「いつもお金がない。」
そう思ったら、悲しいやら、悔しいやらで泣けてきた。
今日も声を上げて泣いてしまった。(よくあること)
ひとしきり泣いたら、いくらかスッキリしたので、ノートにこのモヤモヤを書き出してみた。
この方法は、自分が今何を考えているのか、根っこのところはどこにあるのか、整理できておすすめな方法だ
以下、ノートに書きだし整理していった過程
・いつもお金がない。
・お金がないから色んなことを我慢している
・お金がないから、不自由を感じている
・だって、好きなように欲しいものが買えないじゃないか。行きたいところに行けないじゃないか。
・でも、その今欲しいものは本当に必要なものなんだろうか?
・未来の私も必要なものだろうか?
・未来の自分にとっても必要なものにお金を使っていこう。
・でも、そのお金さえ、ない状況じゃないか!
・欲しいもの、本当に欲しい情報、お金が合ったら手に入れられるのに…
・そうすれば、私は変れるのに!
・お金があれば、好きなことして、好きなところに行ってどんどん変われるのに!
・お金があれば、自由に何でもできるのに…!
お金がない = 不自由
お金がある = 自由
こんな公式が、自分の中にあることに気が付いた。
もしかして、「お金がない」のが嫌なんじゃなくて、
「不自由」なことが嫌なのでは…???
だから、お金がないからと言って、嫌々パートに出る。
パートに出るのは、明らかに不自由な行為だが、
お金がないと不自由になると思っているから我慢してパートに出る。
でも、その不自由さに耐えられなくて悩み悩み何とか頑張って続けるものの、
だんだん我慢できなくなり結局すぐに辞めてしまう
というのが、いつものパターン
私の自由は、お金に左右されていると思っているので、なかなかそのパターンから抜け出せない。
お金がない = 不自由
それって、本当にそうなのだろうか…?
私のイメージの中心にあるもの、それはずっと「お金がない」ということであり、
私のセルフイメージは、「いつもお金がないわたし」だった。
そこがいつも中心にあるから、そこから全ての思考や感情や価値観やルール、常識が作られているのかもしれない…!
たとえば、お金がないから、
・行動できない
・不自由だ
・頑張らなきゃ、努力しなきゃ
・我慢しなきゃ、諦めなきゃ
・無理してでもやらなきゃ、休めないでしょ
・焦り
・不安、恐怖
・楽しめない、遊ばない
・笑顔がない
・お洒落できない
・好きなことできない
・失敗できない
・損しないように
・独り占めしたい
・楽はできない
・許せない
・いつも緊張している
・必死 ……
ここに書き出していったものが、まさしく私そのもので、私という人物を創り上げているもの…
書き出していきながらゾッとしてきた
ここを思い込んだままこの先ずっと生きていくとしたら…
変わりたくても、変われるはずはない。
未来はきっと変わらないどころか、もっと悪化していくだろう
「お金がない」ということを必死で埋める人生なんて御免だ
だったら、この中心に一体なにを持ってきたらいいだろう?
「お金がない」 → (最初は、)お金はないけれど → 「自由だ」 → 「自由だし、お金も足りている」
こんな風に少しずつ、私の中のセルフイメージを変えていけないかな?
きっと、お金をたくさん使えることが自由ではないはず。
だから、今できる事として、お金をかけずとも、
自由に思いっきり楽しめるのだ!ということを実感したいと思う。
ドリップコーヒーと手作りお菓子を持参して、気ままにドライブでもしてみようかな
今できる事で、思いついたことをやってみよう
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