私の中には、いつも理想の母親像というものが存在している。
子供たちとの関わりの中で、自分でも気が付かないうちに、こう対応するのが正解であるというように自然と判断し行動している。
私は、やはり優しい、理解のある、忍耐強くて、愛情深いいわゆる「良い母親」を目指して頑張っているようだ。
どこか完璧主義の私は、アレもコレもといつも完璧を探している。
よく言えば向上心があるようだが、それがどちらかというといつも仇になりグルグルと自分攻めが始まったり、自分に自信が持てなくなってしまうのだから、もっと柔軟な対応ができる人になりたい、といつも思う。
「もう娘とは一緒にお風呂に入らない。」
そう強く決心したのにはこれまでの試行錯誤の末ことだ。
中学1年生の娘は学校ではかなりの優等生を演じているらしい。
その反動からか、家ではかなり面倒くさい。
私の気を引くためか、わざと音を立てたり、時間をわざとかけたり、何でもない用事にいちいち人を呼びつけたり。
そのたびに、「そんなことで呼ばないでよ…こっちは家事で手が離せないんだよ…」
と内心思い我慢したりする。
とくにこの現象が顕著に現れるのが一緒にお風呂に入った時。
とにかくギャーギャーと要求がうるさい娘の姿を見て、私は耐えて我慢して、何とか自分の中でこのストレスを消化しようと頑張ってきた。
こんな娘になってしまったのも、自分の関わり方が悪かったのでは…?とさえ思い、やはり自分を責めていた。
何度も何度も我慢の限界がきて、イライラ爆発…そして自己嫌悪、自分攻めの繰り返しだった。
一向に状況が良くならない中で、このやり方を続けていても無駄であることがやっとわかってきた。
私は、「良いお母さん」をやめる。
子供たちに好かれるお母さんをやめる。
うまく時間を過ごせないところにしがみつかなくたっていい。
だから、私は娘と一緒にお風呂に入るのをもうやめよう。
どこか、理想の中に仲良く娘と一緒にお風呂に入り、リラックスした雰囲気の中で普段話せないことを話したりする…
そんな特別な時間を過ごせるのではないかと期待していた。
でも、もうそんなところにこだわるのはやめよう。
それよりも今大事なのは…
私が親として今一番大事に考えないといけないことは何だろう?
そこさえ、意識していればいいのではないか?
アレもコレも理想を追い求め、完璧にこなそうなんて所詮無理すぎる。
私は、今毎日新しいことにチャレンジしている。
それは、より成長するためであり、新しい自分へと変化していきたいからだ。
そして、その姿を子供たちに見せながら、子供たち自身も色々な事にチャレンジしていって欲しいと思っている。
だから1つ目は、子供たちのチャレンジを応援する。そのために必要な援助を惜しまないこと。
それには、やはり経済力だよな…
そして2つ目は、しっかり栄養のある食事を摂らせること。
栄養のバランスを考えたり、添加物などの情報に配慮した食べ物をきちんと選択したり。
それにもやはり、経済力が…
経済力…!!!
お金…
無意識のうちに一番避けてきた分野である。
もちろん、口ではもっとお金があったらな、とかもっと豊かになりたいな、とか言っているし思っている。
でもどこか、そうはいってもお金がすべてではないでしょ、と言い訳しながらそこの問題に直視してこなかった自分がいる。
子育てへの価値観として大事に考えていたのは、ぼんやりとした「愛情」というもの。
でもそれって、子供たちに対して具体的にどうしてあげることなんだろう?
それはあまりに曖昧で、きちんと向き合うには分からな過ぎて、
だから見ないように、無責任にその言葉を取り扱っていた気がする。
その言葉のあまりにも壮大な世界に、愛情と口にしながらも子供たちとの関係やかかわり方を曖昧にしてきたのではないか…
「お金」というとあまりにも直接的で強すぎる印象があるけれど、
私は経済力をつけたいと、今、切実に思っている。
だって、子供たちが色々な事に生き生きとチャレンジする姿を見ていたい。
そっと後ろから見守っているような、そんな母親でありたい。
だから、今日、私の中で新しい目標がはっきりとした。
子供たちのチャレンジをいつどんな時も応援できる経済力をつけること。
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