わたしもいつか、そんな、素敵な文章を書いてみたい

あるきかた

最近はとくに情緒不安定かもしれない。

よく涙を流している

それは悲しいからだけではなく、

たとえば、学びのセミナーの中で、引っかたフレーズに妙に反応して涙ぐんでしまったり

ふと目に留まった動画を見たときに

そんなに感動して泣くようなくだりではないようなところで泣いていたり

自分から見て成功しているように感じる人の話を聞いたときに、

うらやましいのか、悔しいのか、悲しいのか自分でも分からないうちに

涙が止まらないくらい大泣きしたり。

傍から見たら、かなりヤバいやつだろうと思う。

わたしなりに、涙を流すことで体の緊張を緩めているのだろうな、とも思っている。

泣くとスッキリする。

体は自らできるだけ楽になる方法を分かっていて、

張り詰めた緊張の糸をプツンと切るように、

わたしが泣ける状況を人知れず作り出してくれているのかもしれない

だから、泣くことはわるいことではない

でもどうしても、泣く自分の感情に入り込んでしまうと

わたしは、なんてかわいそうと必要以上にネガティブに捉えてしまったり、

逆に、こんなに感動を味わっている自分!!みたいに酔いしれて、過剰にポジティブになったり

感情を中心にその出来事を捉えてしまうと、その場限りの満足感だけで終わってしまうと思った。

自分が反応しているのはどんな時だろうかと、さらに考えてみる

ひとつは、羨ましいとき。

あぁ、わたしもそんな風になりたい。いつかそんな風に生きてみたい。と感じるとき

「羨ましい」

辞書で調べてみる(chatGPTでいつも調べるんだけど)

・いいなぁ、自分も欲しいな、体験してみたいな、というどちらかというと憧れに近い感情

・いいなぁ、なんで自分にはないんだろう、できないんだろうと嫉妬に近い感情

つまり、羨ましいは中間的な言葉で状況によって憧れるにも、妬ましいにもなる。と

だから、羨ましいな、の後にどんな言葉が続いていくかは自分で選択すればいいと思った。

羨ましいなぁ!じゃあ、自分もそうなりたいな、なろう!と思考を選んで持っていくように意識していく

どちらかというと、羨ましい=妬ましいのイメージの方が強かったなと気づいた

「羨ましい」の言葉を憧れ、羨望の方に転換していく

言葉の持つイメージを自分で選択して、自分の中の意味合いを変えていく…

面白い

きっと、その言葉を使う人によって、その言葉の持つ意味合いが全く違うんだろう

だとすれば、それによって見ている世界は全く違うんだろうな

脱線してしまったけれど、書いているうちにすごい気付きがあった。

だから、わたしが涙を流すほど反応しているのはどんな時か、という話に戻ると、

羨ましい時、そして私もそんな風になりたいと憧れているとき

それは、自分の思い描くゴールのかけらを見つけたとき…

と仮定しておこう。

今朝はとても素敵なメルマガの文章に涙が止まらなくなった

その文章に書かれていた内容はもちろん素晴らしかったけれど

一つ一つの言葉の選び方とか、

その文章からその人の経験や価値観が透けて見えるような感じに

心が震えてしまうかんじ

わたしもそんな風に生きてみたい

そして、いつかわたしも、そんな素敵な文章を書いてみたい

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